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安心して絶望できる

今回の表題は、ある本のタイトルの一部を借用。

正確なタイトルは「安心して絶望できる人生」というもの。
知る人ぞ知る(精神障害の世界ではかなり有名な)
浦河べてるの家の向谷地生良氏が書かれた本です。

浦河べてるについては、
私もこういった本を読ませて頂いている以外に
特に存じ上げているわけではありませんが
面白くって、しかもとってもタメになる本などがたくさん出ているので
(おそらくネットでもいろいろ情報があるのでは?)
興味を持たれた方には是非そちらをご覧いただくとして…。
http://www18.ocn.ne.jp/~bethel/

今回は、あくまでこのタイトルの言葉の話です。

この本を以前に読ませて頂いてから
この「安心して絶望できる」という言葉が
なんとなくいつも私の心の片隅にあります。
(このタイトル、向谷地氏が考えられたのか、
編集の方が考えられたのかわかりませんが…。)

「安心して絶望」することができると、
どんなにか私たちは楽になることが
できるだろうと思うのですが
これがとっても難しい。
これは何も精神障害がある人だけに限ったことではありません。

「絶望」するのが怖くて、
人は大抵(誰でも!)
心の中に見てはいけない「開かずの間」のようなものを抱えている。
そして、その空間があんまり大きいと結構不自由で、
支障が出てくることがある。
そんな時、何らかの心の問題としてあらわれてくることもある。

だけど、普通はその存在にすら気づいていないことの方が多くて
(気付くとそれだけで怖いですから、気付かないようにしている)
誤魔化し誤魔化し生活している人の方が圧倒的に多い。

カウンセリングという作業は、たぶん、
ひとりで開けるのはとってもコワい開かずの間の扉を見つけて
自分で開ける作業。
(これは別に必ずしもトラウマとかそういうことではなくて
ご本人がコワい、コワいんじゃないか、コワいに決まっている、
開けたら絶望で死んじゃうかもしれない!!!
と思っていればそこが「開かずの間」になる)

結局は開けるのは自分だし、
「開けて」、「見て」、「絶望」するのも自分自身だけど
この作業は一人ではできないことになっている。
(ここでは理由は割愛しますが、そういうことになっている)

それと、
これらはみんな実は主観の世界だけど、…というか、だからというか、
確かに「体験」には違いないし、体験するキツさが減るわけじゃない。

カウンセラーの仕事は、その「場」の提供。
(浦河べてるや各種の自助グループなどもそういう「場」ですね)

今回、最初に紹介した本の帯には
「精神病を抱えた人たちが、
自分で自分の助けを見つける浦河べてるの家。
今日も順調に問題だらけだ!」
「病気なのに心が健康になってきた。」
というコピー(?)が書かれていました。

本当に、「安心して絶望」ができるようになると
人は「順調に問題だらけ」でいられるようになってくる。
そして、それが実は「心が健康」という意味なんじゃないか…。

これは精神障害のあるなしに関わらず
誰にでもいえることのような気がします。

2009.6.4.