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駄目な子だった(である)すべての人(子)へ


前回、「いい子」のことを書いたので、
今回はバランスをとるために「駄目な子」編で…。


わがままな子、
世話のやける子、
お父さん(お母さん)に似て引っ込み思案の子、
いつまで経っても甘ったれな子、
性格の悪い子、
可愛げのない子、
ダラシナイ子、
自分の身の回りのことが自分でできない子、
グズグズ言ってばかりの子、
男なのに覇気のない子、
泣き虫、
思いやりのない子、
身体が弱くて親に心配をかける子、
自分勝手な子、
能天気な子、
強情な子、
生意気な子、
何をやらせても中途半端な子、
大人しくて自己主張が出来ない子、
いい加減なことばかり言う子、


大人は子どもたちに色々なことを言って
嫌ったり、疎んじたり、叱ったり、心配したり、
心配しながら同時にその性質を愛おしんだり、…します。


そして、一度このようなレッテルが貼られると
家族の中ではなかなか修正はきかず、
レッテルと反対のことを本人がしたとしても
それはまったく無かったことになってしまったり
偶然や、他の何かの理由でそうなったことになることが多い。


何故かと言えば、
このようなレッテルが貼られる時というのは
多くは大人の側に
何か「そう思う必要」がある場合が
多いからなのです。


だから、叱られたり、けなされたり、嘆かれたりしながらも
子どもは大人の「必要」を満たすために存在しないといけない。


駄目だ駄目だ、心配だ心配だと言われ、
親に対する罪悪感や申し訳のなさ、
ひとりで生きていく自信のなさを抱えて、
そのまま成人してもまだ言われ続け、
またはそのような親の視線を暗黙のうちに読み取り、
自分でも自分はやっぱり駄目だと思い込み、
抜け出ることができなってしまうことも珍しくない。
こうなると、社会の中でひとり立ちしていく時に
それが足かせになってしまうこともある。


でも、親にしてみても、
子どもの心配なところを何とかしてあげたい、
悪いところを直してあげたい、というのは自然な「親心」。
よその子なら見て見ぬふりだってできるけれど
我が子となると放っておけなくなってしまう。
気になって仕方がない。
もどかしい。
目に付く。
気に障る。
親子といえどもお互い人間…相性もあると思う。
…どうしたらいいのかわからなくなってしまう。


「いい子」のところでも書きましたが、
人の心はそんなに単純に一面的なものではありません。
それが一面的なものに固定化されてしまって硬直し、
そこから抜け出せなくなっている時には必ず何か理由があります。
そこには何か大切な「意味」が隠されているのです。
ただ、その答は家族の中だけでは
解けなくなってしまっていることが多いようです。


2010.3.29.