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どうすればいいのかわからない


カウンセリングをしているとクライエントの口から
よく出てくる問い(戸惑い、抗議、怒り、etc…)…

「一体、私はどうすればいいんでしょうか。」
「どうすればいいのかわからなくなってしまいました。」
「じゃあ、どうしたらいいっていうんですか?!(怒!)」

私たちが何か起こった問題への対処を決められなくなったり、
人生上の重大な決断についての選択を迫られながら
一体全体何を選択すればいいのかまったくわからなくなったりする時、
大抵、私たちは上記のような問いに足をとられて
問題の前で身がすくみ、動けなくなくなってしまっています。

現在の状況を様々に考えてみて、四方まるくおさまる選択はないか、
ああでもない、こうでもないとシミュレーションしてみる。
あれもやらなければ、これも何とかしないと、との思いがよぎる。
何とかしていい方法は見つけられないか、納得のできる解決はないか。

大抵の場合、相談にいらっしゃる前に、
解決に向けて自分なりにかなりの努力もしてみている。
「今度こそなんとかできるんじゃないか。」
「前回はまだまだ努力が足りなかったのだ。今度はもっと頑張ろう。」
そして気づくと、もう何年も、場合によっては何十年も、
同じところをグルグル回っている…。
いいかげん疲れてきている自分に、最近やっと気づいた。

場合によっては、それさえもできない。
出来ることなら何もしたくない。
…というか何をしたらいいのかすら、まったく想像できない。
わかればやるんだけど…。
世の中の人は何であんなに一所懸命生きていられるんだろう…。
ああ、面倒くさい。馬鹿馬鹿しい。
まったく!!何で生きてなきゃいけないんだ…。
朝起きて着替えるのさえ億劫。息をするのも面倒。

などなど…
外から見た時の見え方はピンからキリまでありますが
(呆れるほどよく働いている人から、一日中グッタリ寝ている人まで)
表向きは違うようで、実は「私はどうすればいいのだろう?」という問いの前で
そこから先に動けなくなっている心の内はどこか共通していたりする。
(よく働くのと、グッタリの間の、行ったり来たりを繰り返す人もいます)

この迷路から脱するためには、
「どうすれば“いい”?」という“問い”に、実は鍵があるのです。

この問いの後ろには、
何か客観的に与えられるような「正しい(“いい”)答え」が
自分の“外”にあるのだという発想があります。
自分の生(なま)の人生と切り離されたところに
「正解」があるという発想。
真面目な人ほど陥りやすい落とし穴。

でも、本当は答えは生(なま)の自分自身の中にしかないのです。

そしてそこに行きつくには、
私たちが子どものころから学校で仕込まれてきて
骨の髄まで沁みわたっている「正解を探す」思考方法と
ちょっと違う方法を採用する必要があるのです。

ただ、ひとりで悩んでいてそれを探すのは至難の業。
カウンセリングはそのちょっといつもと違った「やり方」、
生(なま)の自分自身の中から問題を解いていく方法です。



カウンセリングが始まってしばらくすると、
そこらへんのからくりがほんの少しずつですが、
実感として感じられてくるようになります。

それにはちょっとコツが要るのです。
そのコツが感覚としてつかめてくるまでは、
それなりの時間と辛抱が必要。

ある面では掴みどころがなくて辛い過程が始まります。
不安、猜疑心、絶望、寄る辺なさ、自己嫌悪、恐怖、怒り…
答えを探しにきている筈なのに
逆に答えから遠のいているような気もしてくる。
または何にも手ごたえがないような気がして不安になる。

でも、しばらく続けていく中で
それらの辛い気持の中に紛れ込むように、
小さな希望の芽のようなものが見え隠れし始める。

何故か根拠はないけどどこか確かで、不思議な感覚。
多分、それまであまり経験したことのない感覚です。
もしかするとそれは、
あの「問い」の前で立ち尽くしていた頃には体験したことのない、
“自分自身への”期待と不安が入り混じったような
ちょっと(でも時には嵐のような…)ドキドキハラハラと
でもこわいけどその先を見てみたいというような
小さなワクワクとが入り混じった、
そんな感覚かもしれません。

2010.4.20.