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依存症とウツ


アルコールや薬物、過食嘔吐、
対人関係(恋愛、世話焼き、繰り返す対人トラブル、暴力)
様々な行為(ギャンブル、仕事、セックス、買い物、ネットなど)、
私たちは、本当に様々はものに依存します。
最近はネットゲームや、ツイッタ―依存などの話も
よく耳にするようになりました。


これらの中でも仕事や世話焼き(子どもやパートナーなどの)は
一見、非常に適応的なこと(むしろ褒められるようなこと)なので
それをもって依存症だとかアディクションだとか
言われてもピンとこないことの方が多いかもしれません。


お酒にしても、百薬の長と言われるくらいで、
そういう「いい」飲み方と、
「依存症」の違いは何なのかわからない、
というのも当然の疑問のように思われます。


しかし、これらの行動が
依存症(嗜癖、アディクションなどとも呼ばれます)となる時、
これほど幅広い、まったく違うことの中に
ひとつの共通点が浮き上がってきます。


それは、その行動をしばらく我慢してみるとわかります。
(たとえば仕事なら、なるべく定時で帰ることを続けてみたりします)
最初の2、3日は、大丈夫かもしれません。
場合によっては、2、3週間もつかもしれない。
でも、次第にイライラして来たり、
心配でたまらなくなってきたり、
何となく落ち着かない、
という状態が始まる筈です。
この時の焦燥感(イライラ)は自分で気づいているよりも
大抵の場合、非常に強いものです。


もちろん、そういう時には、
必ず様々な合理的な理由が頭に浮かびます。
「そんなことを言ったって、私が世話を焼かないと
この子はダラシナイから、自分では何もできない。」
「たまに息抜きをするくらい、いいじゃないか。」
などなど。
そして、次の瞬間には頭が真っ白になり、
気づくとまた夢中になってやっている…。
忘我の境地。


そうなのです。
アディクションにハマっている間、
私たちは「我を忘れる」「頭を真っ白にする」ことが出来る。
逆に言うと、依存していることをずっと我慢している間、
何かに苛まれているような、
非常に落ち着かない感覚がある筈です。
(この感覚は実は耐えられないほど、非常に強いものですが、
依存症の場合、大抵、自分では気づいてません。)


そして、その非常に不快な感覚から逃れるための、
手っ取り早い方法がアディクションなのです。


でも実は、その「苛まれているような感覚」には
(この感覚の正体は、抑うつ的な感情です)
私たちが自分の人生を生きていく上で
とても「大切なもの」が隠されている。


だから、アディクションでいくら消し去ろうとしても
その効果は一時的なものでしかなく、
その「大切なもの」(私たちはそれを不快に感じるのですが)が
私たちに、その存在を気付かせるために、また出てきます。


そのために、私たちはアディクションを
繰り返すしかなくなる。


私たちに必要なことは、
その「大切なもの(抑うつ的な気分)」を消し去ろうという
無駄な努力(依存症/アディクション)を止めて、
一度、きちんと向き合ってみることです。


2010.9.21.