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自分に興味


自分に純粋な興味を持って接してあげるのは
案外…いや、実は、非常~に難しいものです。

ただただ、興味をもって話を聴いてあげる。

余計な忠告やアドバイス、
正義や正論による説得、
ましてや叱責やお説教はご法度。
それどころか、一見、暖かな励ましや鼓舞さえも
(それが、本人の言い分を遮ってのものならば)
案外、百害あって一利なしだったりする。

余計なことは言わず、そのかわりに
ただただ、興味を持って、最後まで話を聴いてあげる。


でも、ちょっとやってみればわかりますが
これはものすごく難しいことです。
ひとりでやるのは、
正直、至難の業…というより不可能に近い。

「またそうやってグズグズ言って…」
「何でもっと素直になれないの?」
「どうしてそうあなたはわがままなの?」
「弱虫。また逃げたくなったんだ?」
「四の五の言わずに、行動で示せ!」
「さあ、いつまでも落ち込んでいないで、元気出して!!」
イライラして、つい、話を遮ってしまう自分が出てきてしまう。
なんだか黙って聞いていられなくなって
つい何とかして助けてあげたくなってしまうのです。

口出しされてしまった方の自分には
まだ言い分がありそうなんだけど
結局、無理やり黙らされてしまって、
やっぱり最後まで話を聞いてもらえない。
それに、いつも遮られているのが常態になっていると
自分自身、何を言いたいのかわからなくなってくる。

しかも相手(ここでは自分自身なんですが)としては
それもこれも、良かれと思っての言葉だったりして、
そうなると、こちら(これも自分)の良心もかなり痛むので、
渋々(または喜んで?)従おうと思う。

でも、実は、心の底では納得できていないから、
しかたなく言う通りに動こうと頭では思ってみても
身体がいうことをきかなかったり、
イライラがたまって爆発したり、
行動や感情がちぐはぐになってしまったり、
しまいには、
自分で自分がわからなくなっちゃったり…。


ちょっと思いを巡らすとわかることですが
これは子どもの頃、
両親との間で体験していた関係。

今では、もう両親は亡くなっていたり、
まだ健在であっても、遠くに住んでいて、
もうそんなこといちいち言ってくるだけの元気はなかったりする。
なのに、人は心の中でそうやって、
子どもの頃、親との間で繰り返していたことを
ひとり芝居のように繰り返して生きている。

そう、よくよく考えれば、
今となっては、相手はどちらも自分の中にいるのですが…。
それだったら何とかなりそうな気がしませんか?

でも、これが案外難しいのは冒頭に書いたとおりです。
そして、自分ひとりでは決してできない、
「自分が自分に純粋な興味をもって話を聴く」という行為を
可能にするのが「カウンセリング」というわけなのですが…。

このカラクリ、少しだけ、理解して頂けたでしょうか。

2009.6.16.