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心の栄養



心にとっての一番の栄養(ミルク)を、
成人したのちの私たちは、
日常的なお互い同士のやりとりや、
社会の中で自分を生かし、
受け入れられたり受け入れたりする関係の中などから得ていきます。

そして、このやりとりに困難を感じる時、
私たちは、心の栄養不良に陥る。


私たちは、生まれて間もなく、
お母さん(主たる養育者)との関係を通して、
このやりとりの能力の基礎になるようなものを
身につけるのだそうです。

自分一人では何一つできない無力な乳児期、
赤ちゃんが泣いて訴える肉体的、情緒的欲求に対して、
お母さんがその意味を適切に読み取って満たしてくれる。

この体験を安定して積み重ねることで、
その子どもは、自分自身の欲求や、まわりの世界への
(赤ちゃんにとっては「お母さん(主たる養育者)=世界」)
信頼感、肯定感を体得することができるようになる。
そして、それがその人が大人になってからも、
楽に生きていくことを可能にしてくれます。


ところが、たとえば、お母さんがたまたま育児中に
パートナー(父)との関係に悩んでいて情緒不安定だったり、
身体を壊していたり、お姑さんとの葛藤を抱えていたり、
お母さん自身の人生の自己実現の夢と子育ての負担の葛藤を感じていたり、
経済的に困窮していて精神的な余裕がなかったり、
もともとお母さん自身がそのお母さんとの関係で
安心感を必ずしも得られない状態で育ってきたりしているような場合、
赤ちゃんの様々な欲求に対応しきるだけの余裕をもてないことがある。

…というよりも、程度の差こそあれ、
多少なりともそのようなことは
どんなお母さんにもあるのですが、
その「程度」がたまたま、
何らかの要因で強化されてしまう場合がある。

そのような場合でも、赤ちゃんにとって
環境(=お母さん)に順応することは死活問題ですから、
相手が合わせてくれないのなら、
何とかして自分の方が合わせる形で適応しようとする。

たとえば、
お母さんが情緒的に余裕がなく、
赤ちゃんの欲求を適切に「読み取」ることができず、
その場その場のお母さん自身の感情で反応している場合、
赤ちゃんはその押しつけられた感情を自分のものとして
それに合わせることを覚えていく。

また、自分の欲求をあらわすと拒絶されたり、
無視されたり、無反応だったり、
という体験が重なると、赤ちゃんは次第に、
自分の中の「求める気持ち」が生じること自体を
非常に不快で辛いこと、
とても危険で絶望的なこととして体験してしまいます。

そして、そのようなことが積み重なった人が大人になった場合、
自分を出して他者と交流することを危険なこととして感じてしまうのです。

そのため、
自分の感情が分からない、
自分の素直な感情を出すことに恐れを感じてしまう
(出そうとすると場にそぐわないほど攻撃的になってしまう)、
自分の気持ちよりも相手の気持ちを読み取ることに一杯一杯、
自分が何をしたいのかわからなくていつも空虚感を抱えている、
…といった状態に陥ることが少なくありません。
こうなってしまうと、私たちの心の栄養は枯渇しそうになります。

そのような時、人は、
様々な依存症(アルコール、ギャンブル、仕事、対人関係、SEXなどなど)で、
空虚感、絶望感、飢餓感(満たされなさ)を埋め合わせようとしたり、
自分だけの世界に引きこもることで自分を守ろうとしたりします。

ですから、これは、ある意味では私たちが自分を守るために
自己治療的に講じた正常な反応、生きるための必死の努力でもある訳です。

2009.9.1.