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身近な暴力

「暴力」という言葉を聞くと、
私たちは普通、手をあげたり蹴ったりする、
身体的な暴力をまず思い浮かべます。

最近は、「言葉の暴力」というような言葉も
普通に日常会話で聞かれるようになっていますが
それでも、臨床をやっていると、
誰かから暴力を受けながら(または誰かに暴力を振いながら)
そのことに気づいていない人の多さを痛感します。
頭ではそういうものがあると理解していても
実際に目の前で自分の身に起きているときには
それが知識と結びつかない。

かく言う私もその一人でした・・というよりも、
それが完全に過去形になるということはなく、
私たちはいつでも
お互いに暴力を受けたり与えたりする可能性の中で
生きているのかもしれません。

こんなことを書くと随分悲観的だったり
加害者を擁護したりしているみたいですが、
「だから仕方がないんだ」とか「お互い様だから我慢しよう」とか
そういう話ではもちろんありません。

「頻繁に起きてしまうことだけれど、
我慢していなくていいんだ、諦めなくていいんだ」
ということを知っていて、
「これは暴力だな。」とすぐに気付くことができれば
対処が可能になるということです。


あからさまな身体的暴力については
言うに及ばないのでここでは敢えて触れませんが
(もちろんそれに対処するのは当然のこととして)、
極々日常的に目にする暴力の例は、もう少し判りづらくて、
「ありふれた光景」化していることが多いようです。

たとえば、既婚の女性の心理面接をしていて
もう必ずと言ってもいいほどよく出てくるのが
「でも、主人に文句を言っても怒鳴り返されるだけです。」
「子どもたちが騒いでいて言うことを聞かないと主人が怒鳴りだすんです。
あの声を聞くとまるで自分が叱られているような気がして・・・。」
というセリフです。

そして、そう言いながら大抵の女性が
その怒鳴り声を思い出すだけで身を固く強張らせたり、
「あの怒鳴り声を聞くと、イヤ~ッ!と耳を塞ぎたくなります。」
と言って、実際に耳をふさぐ動作や、
胸に手を当てて苦しそうな不安そうなしぐさをします。
それは、とても怖くて怯えている様子に見えます。
でも、そう言いながら顔が笑っていたりする。
そして「だけど、まあ、仕方ないし。気にしていません。」などという人もいる

男の人の(もちろん女性でもですが)大きな怒鳴り声や
不機嫌さをあからさまに表した乱暴な態度。
顔は笑っていても、その背後で自分の持つ
相手への支配力を(腕力、経済力、地位の上下等々)
チラつかせた威圧的な態度。
相手の存在を無視したような態度。
または逆に相手が言い返せないほど一方的に理屈をまくしたてる、等々。

家庭の中で、会社の中で、学校で、
私たちはかなり頻繁にこういう状況にさらされながら
(または逆に自らが暴力を振るう側に立っていながら)
それを「暴力」だと意識するのを避けていることが多い。

見ていると、とっても「怖い」「不快だ」「嫌だ」「頭に来る」「何で?!」と
感じている様子なのに(それを話す時のしぐさや表情が表わしているように)、
意識の上では、どこかでそれを気にしないようにしている。
「大したことではない」「普通のこと」「みんなもそうだ」
「男の人はそういうものだ」「言ったところで変わるわけじゃない」
「世の中とはそういうものだ」「目くじら立てるのは大人げない」等々・・・。

ただ、幸いなことに(!!!)、こんなことを繰り返していると、
私たちは必ずどこか(身体とか、心とか、行動とか)オカシクなってきます。
というよりも、オカシクなるのが正常。
被害を受けている人が「まったくオカシクならない本当にオカシナ人」の場合、
その子どもが「ちゃんと正常にオカシクなって」くれて、
「本当にオカシナお母さん」を連れて相談の場に現れたりします。

もしあなたがどこかオカシクなったら、
もしかすると自分は何か心で感じていることを無視しているのかもしれないと
考えてみるといいかもしれません。

「オカシクなった正常な自分」を無理やり「治そう」とするよりも、
オカシクなるほどつらい自分の今の気持ちを聞いてあげて
そんなにつらいことを無理に我慢しなくてもいいんだと
自分に言ってあげることが必要かもしれません。

2009.1.26