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もっと見えづらい「暴力」

前回、前々回のこのコーナーでは
家族の間での、力の差による支配関係、暴力、
そして、それらが世代間連鎖していくということについての
比較的基本的な説明を書きました。

私たちは、子ども時代、自分が受けた暴力(虐待)に対して
直接にその心の痛みを感じることに耐えられないので
(子どもとして、その状況に対処する能力が自分にはまったく無いのだという
無力感=世界への絶望に直面することから自分を守るために)
何らかの形で自分の感情を麻痺させる。

そして悲しいことに、
その自分を守るために使った筈の心を「麻痺」させる戦略は
大抵の場合、もうそんなもの不要になった成人後も残ってしまう。
そのために、
自分ではそんな状況、まったく招こうと思っていないのに
気がつけば子ども時代と同じような苦境によく立っていたり、
自分の子どもに自分の親と同じようなことをしてしまったり、
…ということが起きること、
これが「世代間連鎖」だ、という話です。


ただ、現実は、そう絵に描いたようなような虐待や
誰でもすぐに見てとれるような世代間連鎖ばかりではない。

傷ついて育ったかつての子どもたちは
意識に上らせることができる部分に関しては
当然のこととして自分の子どもには同じ思いをさせたくないと考えて、
自分で何度も自分にチェックを入れて
よりよい育児、よりよい養育者になろうと一所懸命頑張ります。

芸能人などが婚約するとよく会見などで言うセリフのように、
「明るい、いつも笑いが絶えない家庭を築きたい。」と思う。

だけど、ちょっと考えてみたら、
「明るい、いつも笑いが絶えない家庭」なんて
本当はかなりおそろしい家庭だと思いませんか。
例えて言うなら、「影の無い世界」みたいに…
ペラペラで、奥行きがなく、何か不安な感じがしませんか。

人の心にはいつだって楽しい感情もあれば
悲しい感情も、怒りも、不満も、いろいろあるのが
本当は健康な、正常な状態です。

そして、それが当たり前で、
人はそうやって泣いたり笑ったり怒ったりしながら
生きていくものだということを学んでいく
そういう場所が家庭なのですが
「いつも明るくて笑いが絶えない」ことが
至上命題のようになっている家庭の場合、
悲しみや怒りの処理をまったく習うことができない。

処理どころか、それらの感情があることすら
タブーになっていたりして、
子どもが悲しそうな、または不服そうな顔をしているだけで
不安で受け止められない両親にオロオロされたり、
または不安のあまり逆ギレされたり(お互いに爆発させて処理)、
自分たちのことで精一杯の両親に厄介なこととして無視(スルー)されたり、
やたら不自然に元気のいい(本当はカラ元気の)母親などに
全部笑い飛ばされて否定されたりする。

表向きは、やはり「明るい家庭」「普通の家庭」をやっている。

「普通」に外れていないか、実はいつも両親は不安を抱えているけれど、
そんな不安を表に出したら、それだけでもう負けになってしまいそうだと思う。

雑誌特集記事を読んでは、
「キレイで理解があってちょっとドジで楽しい、
いつまでも若々しくて友達みたいなお母さん」や
「娘に嫌われない、ユーモアがあってちょっとステキなお父さん」をやるために
いつも自分(たち)をチェックしている。
ですから、子どもたちにも同じような要求を暗黙のうちにする。
(「暗黙」というところがポイントです。暗黙なので断ることができない。)
そういう家庭にふさわしい子どもたちであってほしいと切実に願って、
「のびのび」していて「やんちゃだけど」「心豊かで優しい」イメージを求める。
こんな家庭の「暗黙の緊張感」たるや大変なものです。
言葉に出せない、意識に上らせることさえタブーであるからこそ、
そこから逃れる手段も考えられない。
息を抜くこともできずに続く精神的な拷問のようなものかもしれません。

一見、まったく違うことのように見えるけれど、
あからさまで目に見える暴力が横行する家庭と
このような一見何の問題もないような「普通の」家庭は
心の深い部分を見つめる目で見てみると
実はそんなに開きのあるものではありません。

そして、現代の日本の社会は全体としても
そのような緊張感に覆われていて
どの家庭も、程度の差、傾向の差こそあれ
大なり小なり、そんな緊張感とあからさまな暴力の間の
どこかの位置にいることの方が多いのではないでしょうか。

そして、どちらの「暴力」も、実は場合によっては、
人が命を落とすところまで追い詰められるくらいの影響力があること、
そのことにみんなが案外気づいていないのではないかと思うのです。
そのくらい目には見えづらい。
ただ最近ではその不安感だけが社会を覆い尽くしています。

何か生きづらい、だけどそれが何なのかわからない…。
言語化できないユルイものなんだけれど、
でも、どこかで自分の生存さえ脅かしそうな息苦しさ。
それを感じて喘ぐようにして暮らしている人は少なくない。
このことと、上に書いたような状況は繋がっています。

もちろん、実際には
こんなに簡単に定式化して書けるようなことではなく、
ひとりひとり、ひと家族ひと家族、状況はみんな違う。
みんなに使える「正解」があるような問題ではない。
こういう問いに、カウンセリングは応えることができるのです。
2010.6.12.