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さっきの自分と今の自分

現代の私たちは(都市生活者は特に)、
多様な人間関係の場の間を
日々せわしなく渡り歩いています。

家族と一緒の時の自分、
仕事場で同僚と一緒の時の自分、
上司の前の自分、部下の前の自分、
取引相手と会っている時の自分、
彼(彼女)といる時の自分、
同性の友人と飲んでいる時の自分、
ひとりになって自分の部屋でうずくまっている時の自分・・・

カメレオンのように(最近はこういう形容はあまり使わない?)
いくつもの自分を演じ分けている。
現代は、誰もがそんな器用さを要求されている時代です。


それでも、まあ、「ひとりのまとまりのある自分が
それらのいくつもの場面に対応している」
と感じられていればいいのですが
人によっては、その場その場の空気に対応しているだけで
そうやっている自分自身がまとまりのあるひとりの人間だと
感じられなくなってしまっていることがあります。


全部あわせたひとまとまりの自分を誰か(神様みたいな存在が)
ちゃんと見ていて知っていてくれたらいいのだけれど、
そういう存在もいないとなると、自分でも自分が分からなくなる。
(神様が欲しい!!!)

さっきは大きな声で「赤」と言ったけど、
そして確かにその時には、本気で「赤」だと確信していたんだけど、
その5分後の今は「青」と言っている。
だって、今は本気で「青」だと思っているから。
でも、「本気」って一体何なんだろう???

結局、確かなものなんて何もない。
今、この瞬間の「感覚」だけが頼り。
・・となると、
カッターで身体を刻んで、
食べたり吐いたりして、
見知らぬ異性と関係を持って、
ドラッグをやって、
車を飛ばして、
バックパックで途上国をひとり旅して、
壊れるほどガンガン働いて、
何か新味のあるモノ、感動できるモノを探し続けて、
自分を確かめようとする。
でも何かが違う。


自分がバラバラに散らばったジグソーパズルで
断片の集合体でしかないという状態だと、
生きていくのはものすごく苦しい。

一見、外から見るとその場その場の空気に合わせて
とても適応的で何の問題も抱えていないように見えるかもしれない。
自分でも何が問題なのかもわからないこともある。
でも、やっぱり苦しい・・酸欠で窒息寸前。


自分というジグソーパズルを、自分で語りながら組み合わせていく。
カウンセリングはそういう作業なのかもしれません。

2009.4.13.