Untitled

暴力の世代間連鎖

前回に引き続き家族の中での暴力について書きます。


家族の間での暴力は(DV、虐待など)
身体的な暴力もありますが、
性的な暴力、
心理的な暴力、
経済的な暴力、
ネグレクトなどがあります。


前回書いたように、
あからさまな身体的暴力や
性的な暴力(配偶者間も大人から子へも)でさえ
当事者はそれを「暴力」だと気付いていないようなことがとても多い。


暴力を受けて(または目の当たりにして)
その辛い状況から逃れることができない状態を
経験して育つと、私たちは何とかして
その絶望的な状態から心理的に自分を守りたいと思うので
自分の悲しみや怒りを押し殺すことで、
それを乗り切るすべを身につけます。


自分には抱えきれない悲しみを悲しみとして感じないように、
絶望的な状況で何もできない無力な自分に気づかないように、
何が起こっても平気で元気な自分であると思い込み、
どんな辛い状況でも、自分が明るく振る舞うことで
家族を幸せにすることができると信じて必死になる。


小さな子どもにとって親の存在は
環境そのもの、世界そのものです。
それが頼れないものである事に気づくことは
世界の崩壊に近いおそろしい体験になってしまうので
子どもは「世界」を守るために「自分」を犠牲にします。


「自分がわがままだったからお父さんは自分を殴るんだ。」
「きっとお母さんは私のことが可愛いからふざけて馬鹿にするんだ。」
「自分がいい子にしていなかったからお母さんは出ていってしまった。」
などなど、子どもには本来背負いきれない大人たちの問題を
みんな自分で背負い込んで、自分を責めることで世界を守る。


このような対処の仕方は、
確かに子ども時代の絶望から子どもの心を守りますが
そのままの癖がついたまま成人した人が大人になった時、
パートナーや周囲の人からの理不尽な暴力や要求、軽視などに対して
それが理不尽で怒るべきことであることに気づかなかったり
他人のことにまで責任を感じすぎて身動きがとれなくなったり
嫌われるのが怖くていい子であり続けようとする人になる。
そしてそれはその人にとっての死角になるので
逆に自分の子どもや立場の弱い人に対して
知らず知らずに自分の親と同じようなことをしてしまうことにもなります。


大切なのは、辛かった自分の気持ちに気づいてあげること
求めたかった自分の欲望に優しくなってあげることですが
それを感じて表現することは子どもの頃のその人にとって
ずっと「絶対にしてはいけないおそろしいこと」だったので
いざやろうとすると、大抵の場合、身体に沁み付いてしまった
強い自責の念や、耐えがたい不安、恐怖に襲われて、
場合によっては思いがけず暴力的になったり
子ども返りしたような状態になってしまいそうになる。


そのため、これらの恐怖感に耐えながら
少しずつ少しずつ自分と対面していく過程には
カウンセラーや自助グループの仲間などとの
時間を掛けた信頼関係の構築や支えがどうしても必要になるのです。


逆に言えば、それらの支えを使って
ゆっくりと自分と向き合うことで
身についてしまったおかしな世界観や
それに伴う役に立たない恐怖、不安、恐れなどを
変化させることが出来るということです。


2010.6.5.