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大切な人の気持ちと自分の気持ち
~たとえば子どもの不登校~


たとえばお子さんが、ある朝突然、
「もう学校に行きたくない」と言い出したら…。

今の日本ではどの家庭にでも起こりうることで
そんな心配を普段から(事が起こる前から)
抱えているご両親も多いかもしれません。
もちろん、もう実際にそういった事態を
体験されている方も決して少ない数ではない筈です。

その時、まず真っ先にどんなことが頭をよぎるでしょうか?

このまま不登校→ひきこもりになったらどうしようと、
ものすごく先の真っ暗なイメージまで見えてしまって、
とにかく不安で一杯になる。

学校で何かつらいこと(イジメなど)があったのではないか、
実は自殺したいと思っているんじゃないかと心配でたまらなくなる。

やっぱり自分の育て方がいけなかったんだと自責の念に襲われて、
そんな自分が親である我が子が不憫でいたたまれなくなる。

なんでこの子はこうグズグズ言う子に育っちゃったんだろう。
こういうさっぱりしていないところは私そっくりだ。
こうやってこの子を見ているだけでイライラするのに
その上一日中家にいられたらたまったもんじゃない!と
キレそうになるお母さんだっているでしょう。

わがままを言えば通ると思って、
夫が甘やかしてばかりいるからこんなことになったんだ。
私の言うことなんて最初から馬鹿にして聞こうともしない。
もう勝手にしてほしい!と思うかもしれない。
とにかく最初が肝心だから、こじらせないように何とか上手く
本人の気持ちを変えられないかとすぐに頭の中がフル回転し始める。
自分がどう感じるかはよく分からないけど、
打つ手についてはすぐに考えて
子どもが思うようにする隙など与えないようにする。

もともと学校なんてくだらないと親自身も思っているから
さほど気にもせず、「あ、そう。」と受け流してさっさと休ませる、
なんていう人も中にはいるかもしれません。

また、
そういう考え方(学校なんて行かなくてもいいという)も
あっていいような気もするけれど、
でもその一方では、それが本当にいいことなのか、
一体どういう選択がベストなのかと、
親自身がその場で悩んでしまって反応の仕方さえ分からない。
大きくパニックも起こさないけれど
ただぼんやり立ち尽くしてしまう。
迷うばかりでますますワカラナクなる。
なんてこともあるかもしれません。

皆さんはどれにあてはまりましたか?
またはあてはまりそうでしょうか?
上に書いた以外にも、いろんな気持(反応)が出てきそうです。

これは、どれがいいとか、悪いとか、
そういうものではないのです。

人間の感情は自然に湧いてくるものなので、
意識でコントロールしようと思って
出来るものではないですし…。

上に書いたどの気持ちも、
もし自分の中に自然に出てきたなら
それはその時の自分の大切な気持なので
否定しないで自分で受け止めてあげることは
大切なことかもしれません。

ただ、心で思ったり感じたりするのと
それをそのまま行動に移すのとは違うので
頭に来たから子どもを怒鳴りつける、手を上げる、
心配で心配でとにかく子どもに問い詰める、
などの行動はすぐには起こさないで済むように
とにかく周囲の誰か信頼できそうな人や専門家に
まずは自分の気持ちを話してみることが必要です。

そしてできたら、その気持ちをもう少し深く観察してみる。
そうすると「世間の人にどういう目で見られるか。」とか
「自分は親として失格だ。もう駄目だ。」とか
「冗談じゃない。学校なんかの言うなりになるか。」とか
それぞれ、そういう気持がまたその下にあるかもしれません。
それらの気持ちも、ただ、打ち消してしまうのではなくて
そんな気持ちになっている自分をまずはゆっくり受け止めてあげる。
そうすると、また、その下にもっといろいろな気持が隠れていたりする。

それと同時に、これらは全部、
「親の側の“自分の気持ち”」なので
それはそれで見つめることにして、
それとは別に
「学校に行きたくない子どもの“自分の気持ち”」に
目を向ける(耳を傾ける)のです。

すぐに自分でやるのは難しいと感じたら
無理する必要はありませんから、
やはり周囲の信用できる人や専門家に
子どもの話を聞いてもらえるといいかもしれません。

子どもの不登校のようなことが起きると
ともすると、親の不安や心配が先走ってしまって、
「子どもの気持ち」を受け止めるキャパがなくなってしまう。
というか、自分の心配で子どもの気持ちを見てしまう。

親の心配がそのまま子どもの気持ちに置き換わってしまいがち。
そうすると今度は子どもの方が、
「親を心配させた。困らせた。」ことを背負い込んで、
子ども自身の“自分の気持ち”がどこかに行ってしまうことになるかもしれません。

親子して、お互いにあまりにも思いやり深すぎて、
罪悪感や相手を助けたい気持ちで自縄自縛。
身動き出来なくなってしまうことがあるのです。
これこそが最大の落とし穴。

そこで、上記のように親の側が、自分(たち)の気持ちを
まず“自分(たち)の気持ち”として受け止め、
自分(たち)自身につきあう力をつけていくと、その分、
子どもの気持ちをそれとして受け止めていくキャパシティが拡がります。

そして、子どもにとっても一番大切なのは、
どんな気持であれ自分は“自分の気持ち”を持っていいという肯定感。
そして、
その気持ちに、心を開いて耳を傾けてくれる人が傍にいるという安心感。
もちろん、対応の仕方は年齢によってもそれぞれ違いますが、
案外、上に書いたような基本は同じかもしれません。

そのためには、まず親が自分(たち)の気持ちを誰かに話せる場所、
たとえば、カウンセリングや親同士の自助グループなどの交流の場が
あることがとても役に立ちます。

今回は、子どもの不登校を例に挙げましたが、
もちろんこれは、子どものそれ以外の問題でも、
また、夫婦、カップル間などのアディクション、
DVなど暴力などの問題にもあてはまることです。

相手が自分にとってより身近で大切な人であればあるほど
人は自分と相手の気持ちの境目が分からなくなってしまう。
そのために、一番大切な人の気持ちが一番見えづらくなることがある。
家族などの極々親しい間柄の中で問題が起きた時に、
当事者同士だけでは解決の糸口が見つからないのは
往々にして、そんな理由があるものです。

2010.2.1.